藤原道兼(961年-995年6月8日),日本平安时代中期的一位关白,父亲为
藤原兼家,母亲为藤原时姬。他有同母兄
藤原道隆,同母弟
藤原道长,以及同母妹东三条院
藤原诠子等。道兼因诱骗
花山天皇出家和在关白之位的短暂而闻名。
藤原 道兼(ふじわら の みちかね、応和元年(961年) - 长元年5月8日(995年6月8日))は、
平安时代中期の公卿。藤原北家、摂政白太政大臣・藤原兼家の三男。同母の兄弟妹に道长、诠子らがいる。官位は正二位・関白・右大臣。赠正一位・太政大臣。别称は、粟田殿、
二条城殿、町尻殿。